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ブックイベントに行ってみた!

ブックイベントに行ってみた!小説の醍醐味、短篇の愉楽 イーディス・パールマン『幸いなるハリー』刊行記念トークイベント

〈イベント概要〉
小説の醍醐味、短篇の愉楽 イーディス・パールマン『幸いなるハリー』刊行記念トークイベント
日時 2021年8月3日(火) 19:30~20:40
会場 オンライン(主催:亜紀書房)
登壇者(敬称略) 古屋美登里(翻訳家)、倉本さおり(書評家) ※登壇者のプロフィールは、こちら
イベント詳細 https://akishobo-event-210803.peatix.com/

こんにちは。本が好き!レビュアーのタカラ~ムこと佐野隆広です。「ブックイベントに行ってみた!」第13回は、亜紀書房主催でオンライン開催された「小説の醍醐味、短篇の愉楽 イーディス・パールマン『幸いなるハリー』刊行記念トークイベント」のレポートです。翻訳家の古屋美登里さんと書評家の倉本さおりさんが、イーディス・パールマンの短編の魅力についてたっぷりと語り合う対談イベントをお届けします。

オンライン開催された本イベント。冒頭パールマンの言葉がスライドで流れ引き込まれました。

パールマンは読みにくい?

2020年の『蜜のように甘く』に続き、亜紀書房から『幸いなるハリー』が刊行されたことを受けて、イーディス・パールマンの短編の魅力を古屋さんと倉本さんが存分に語り合うという今回のイベント。まず古屋さんは、小説を書いている人、読んでいる人、翻訳している人が作品の読み方をあまりよくわかっていないのではないかと話し始めます。倉本さんも同意見で、その理由をこう話します。

倉本: ひとりの視点で何かが起きて、そこに因果関係を見出しながら話を収束させていくというものに慣れていて、(パールマンのように)登場人物があちこちに出てくると、何が言いたいのかわからない。こういう感想を持っている方が多いと思います。

古屋: 作家が世界を構築して、無駄のない構図で書いているが伝わらないのは寂しいです。パールマン作品は、視点が最初Aさんだったものが不意にBさんになり、また不意にCさんになったりしますが、それが日本の作品に慣れていると難しいということですね。高度な技術を使っているので、読み巧者な人でないと文章の向こうに広がる世界に踏み込めない。パッとある光景を出したときに、その向こうにあるたくさんの情報に気づかずに通過してしまうのはもったいないと思いました。読書は、受動的だと思われるかもしれませんが、実はとても能動的です。自分から物語に入っていかないと宝物は見えないんです。

読者が自ら小説の世界に踏み入っていかないと、そこにある宝物に気づけない。「なるほど」と思うとともに、自分がそういう読書をできているかと考えさせられました。読者がその世界をキャッチできないことを「(作品が)読者を選ぶ」と言ってしまうのはあんまりだということも古屋さんは話していました。

老い、病、性のきらめき、言えなかった秘密、後戻りのできない人生の選択。
「世界最高の短篇作家」による珠玉の10作品。

書籍:幸いなるハリー
(イーディス・パールマン, 古屋美登里(翻訳) / 亜紀書房)

 

「介護生活」を読み解く

高度な技術が使われているというパールマンの短編。その魅力を『幸いなるハリー』に収録されている短編「介護生活」を題材に、古屋さんご自身が作成したメモを共有しながら解説してくれました。

 

古屋美登里さん(左)と倉本さおりさん(右)

 

屋: 「介護生活」は、「忘れな草」というアンティークショップが真ん中にあって、レニーという女性が経営しています。その両側のマフィーとスチューの夫婦とイェフジンとその妻、愛人という2組は対比になっています。マフィーとスチューは裕福だけど平凡で、話題もなく教養もなく、お互いが冷淡な関係の夫婦です。一方のイェフジンはひどい男といわれていますが、面白い人物で、妻も愛人も同じように愛しているし、いろいろなことをよく知っていて教養がある男として描かれています。

 

古屋さんが翻訳するときにメモした「介護生活」の構造メモ


物語はマフィーとスチューが、もうこれでお金がなくなるとなったところから動き出します。毎日のように「忘れな草」に来て、それまで客と経営者の関係だったのが、レニーの世界にマフィーが入ってきてしまう。メモでは「親友」としましたが、レニーはこの関係性に悩んでいて、距離をとりたいと思っている。結果的に最後まで面倒をみる形になります。はじめは客と店主の話と思われていたものが、やがて「老い」の話として立ち上がってきて、どんどん「死」に近づいていくという形になっていて、物語が終わった瞬間に、これは夫についての物語なのではないかと思えてくる。この物語の大きなテーマとなっているのが「靴箱」と「親友」という言葉だと思うんです。

倉本: 「靴箱」に宝石を入れているってギョッとしました。マフィーは質の良いものをたくさん持っているから、箱だって持っているはずなのに、なぜ「靴箱」なんだろうって。

古屋: パールマンは、ひとつの単語を書いた場合にそれを書きっぱなしにはしないで回収する。「靴箱」も「親友」も2回出てくる。最後に「親友の夫」という言葉があって、読者に思い出させる。それを物語の大きなテーマとして出すのが実にうまい。翻訳するうえで、それをどう効果的に訳すかも大事なことだと思います。

古屋さんが作成したメモを共有しながら作品の解説をしてくださったことで、パールマンの作品にどのような構図が仕組まれているのか、どのような技巧が凝らされているかがよくわかり、作品の世界観がよくわかりました。古屋さんのメモを見られたことも貴重な体験でした。

 

短編集の構成は日本オリジナル

『幸いなるハリー』は、前作『蜜のように甘く』に収録されなかった10篇で構成される短編集です。その冒頭に「介護生活」をもってきたことについて、倉本さんは「とても怖かった」と話します。

古屋: これは冒頭にもってくるしかなかった。というのも、レニーの存在が大きいですね。最後に入っている「幸いなるハリー」にもレニーが出てくるので、最初と最後がレニーつながりでいいかなと。原書では「坊や」が最後ですが、終わり方があまりに悲しい。「坊や」も素晴らしい作品ですが、少し希望がないので、ユーモアもある「幸いなるハリー」にしました。

ラストが「坊や」だったら起き上がれなかったかもと話す倉本さん。パールマンがすごく新しいと思ったこととして言葉数やセリフの数をコントロールしていることをあげます。

倉本: (「介護生活」で)マフィーがすごく無口という設定で、その数少ない語彙の中に「スチュー」というのがあります。相手を呼ぶ声掛けが語彙のひとつになっている。そんなマフィーが怪我をしてレニーを呼んだときに、それをしてこれをしてと指示するところでは驚くほど饒舌になるんです。セリフがあくまでその人の必然性にもとづいて構築されている。

 

描写の巧みさ、対比が浮かびあがらせる世界

パールマン作品には、「介護生活」の話で出てきた対比のような構造や仕掛けがあります。その他の作品はどのような構造になっているのでしょうか。

古屋: 「坊や」という作品には、マルゴリズ家という5人家族とルイという野菜売りとその息子の家族が出てきます。野菜売りの親子は貧しいけど、丁寧な商売をしていて尊敬に値する人物です。マルゴリズ家は、父親が医者で裕福ですが病を抱えている。悲嘆するような表現は一切出てこないのに、この家族が悲しみの中で生活していることが、ちょっとした描写からわかるようになっています。野菜売りもマルゴリズ家も悲しみが見えていないようだけど、本当は見えているんです。見えているんだけど見えにくくなっているというのが、この物語の持っているメッセージなんです。

倉本: 三姉妹が夢中になって読んでいる本の中に錯視の本があって、向き合った横顔が壺に見える錯視絵の話が出てくる。後になって、お互いが不幸を抱えているとわかったときに、姉妹のお母さんと野菜売りのルイの横顔が重なるときがあって、二人は全然似てないけど、似ていないところにアンバランスな壺ができあがるというシーンがあります。視点の話でいうと、客観視点とは少し違うけど不思議な語りになっています。

古屋: この描写もパールマンならではだと思います。ミンディの視点を借りているけど、ミンディだと難しいことは言えない。だから、ミンディの視点を借りている書き手という客観視点のようになるんだと思います。

倉本: 視点でいうと、「坊や」は基本的にミンディ視点で始まりますが、急にお母さん視点が強くなったりお姉さんに移ったりしますよね。対照的な三姉妹で、タリアはとても聡明で優秀だけど性的魅力には欠けている。ミンディは明らかにきれいで絶対に美人になるに違いない。末娘のテルマは、ジェンダーの揺らいでいる子で古着のオーバーオールを着ていたりするけど、お父さんが女の子っぽい格好が好きだから、退院してきたときにはきれいなブラウスとスカートを着たりします。

古屋: この三姉妹が面白いです。(この作品は)物語の終わり方に胸がつまります。死や病気というあるべきものをどう描くのか。悲しいのは当たり前で、もっと違うものをそこに表しているのが「坊や」だと思います。パールマンは、死というものへのアプローチの仕方、死というものの描き方がすごい。「坊や」は、家族もそうですが、人間が生きて死んでいくという当たり前のことを透かし彫りのように浮かび上がらせています。

 

古屋さんの解説を読んで意味がわかった作品がある、と倉本さん。ヒントは隠されている。パールマン作品の翻訳には注意力が必要、と古屋さん。

短編作家を取り巻く事情

古屋さんは事前に倉本さんに、「日本の短編作家でパールマンのような作家は誰か」と質問していたそうで、倉本さんの答えは「いません」というものでした。

倉本: 語りとか視点の問題に関わってくると思います。短編の名手としては江國香織さんがそうだと思いますが、視点はあまりばらけない。井上荒野さんは短編がすごくうまくて、パールマンに近い要素があると思います。パールマンは、細部をすごく細やかに書くところがある一方で、すごく暴力的に切り捨てる表現があったりする。そういうところはパールマンと井上さんは似ているかと思います。

古屋: 最近ローリー・ムーアを読んでいます。短編の構築の仕方とかすごくうまいですが、寡作ですよね。ずっと短編を書いていても、まとめて本にしようという出版社やエージェントがないと、どんなに優れた作家でも本が出ない。晩年になって5冊も出たパールマンは快挙だと思います。

 

短編の味わい方は読むだけではない!?

パールマンの作品の魅力とその技巧についての二人の話は、とても興味深く、イベント時間はあっという間に過ぎていきました。最後に参加者からの質問に二人が答えてくれました。

Q1 同じタイミングでエドワード・ケアリーの短編集が刊行されました。パールマンとケアリーはまったく違うタイプの作家、作品だと思いますが、実はこういうところが共通しているというのはありますか。

倉本: だいぶ違いすぎて難しいですが、私は(『幸いなるハリー』の)帯コメントとして「諦念」という言葉を寄せさせていただきました。人生に対して距離が近いまま差し出すのではなくて、諦念みたいなものを多分に含んでいる。そういうところは似ているのかなと思います。

古屋: パールマンを訳しているときの私とケアリーを訳しているときの私は全然違う。パールマンのときは80歳くらいのおばあさんの目になっている感じで訳しています。ケアリーは私より年下なので、いたずら好きな青年、人を楽しませるのが大好きな男の子みたいな感じです。

Q2 「双眼鏡からの眺め」以前の短編を翻訳する予定はありますか。

古屋: パールマンの短編を一覧にしていて、発表されたものが全部で80篇あります。そのうち44篇は翻訳していますが、残りはまだ訳されていません。この本(『蜜のように甘く』と『幸いなるハリー』)が売れないと次がでませんので。

倉本: (パールマンの作品は)文章を書こうと思っている人が読んだら、とても勉強になると思います。

古屋: 私が作家だったら、この文章を書き写しますね。呼吸とかテンポとか(勉強になる)。

 

パールマンの名声を確立した短編集。79歳の作家が贈る、全10篇の濃密な小説世界

書籍:蜜のように甘く
(イーディス・パールマン, 古屋美登里(翻訳) / 亜紀書房)

 

以上、「小説の醍醐味、短篇の愉楽 イーディス・パールマン『幸いなるハリー』刊行記念トークイベント」のレポートをお送りしました。イーディス・パールマンという作家が描き出す物語の妙や巧みに練り込まれた対比の構図や言葉に託された意味など、作品を読む上で参考になる話をたくさん聞くことができました。また、「文章を書く人にぜひ読んでほしい」というお二人の言葉に、絶対読もうと思った参加者も多かったのではないでしょうか。登壇した古屋美登里さん、倉本さおりさん、イベントを主催した亜紀書房担当編集者の内藤さん、素敵なイベントをありがとうございました。

■参考 亜紀書房 https://www.akishobo.com/

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著者略歴

  1. 佐野隆広(タカラ~ム)

    本が好き!レビュアー(本が好き!レビュアー名:タカラ~ム)。はじめての海外文学フェアスタッフ。間借り本屋「タカラ~ムの本棚」店主
    11月から、はじめての海外文学vol.6がはじまりました。

    はじめての海外文学 公式サイト
    https://hajimetenokaigaibungaku.jimdofree.com/

    はじめての海外文学vol.6応援読書会(オンライン読書会)
    https://www.honzuki.jp/bookclub/theme/no395/index.html?latest=20

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