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三宅香帆の今月の一冊 the best book of this month

今月の一冊は、「京都の書店」を舞台にしたもっとも有名なモラトリアム小説『檸檬』(新潮社)

今月の1冊『檸檬』(新潮社)

書籍:『檸檬』
(梶井基次郎 / 新潮社)
書籍詳細URL:https://www.honzuki.jp/book/19572/

 

選書理由

京都のジュンク堂が閉店*……というショックなニュースも飛び交う中、おそらく「京都の書店」を舞台にしたもっとも有名な小説といえば、この作品だろう。書店ってどうしてこんなに絵になる(小説だから、文章になる?)のでしょうね。大好きな作品だ。

*2020年2月末で京都店の営業を終了する(編集部注)

ブックレビュー

小説というのは、えてして「読むべきタイミング」というものが存在する。今読んでもそんなに刺さらないけれど、当時読んだからこそ刺さって、人生の一冊ともいえる本になったり。逆に、昔はわからなかったけれど今ならわかる、と切実に思える本があったり。読む時期によって、容易に小説の印象は変わる。
私にとって「檸檬」という小説は、京都で大学に通っていた時期に読んだからこそ、大好きな作品になったのだ、と思う。高校生の時、梶井基次郎の「檸檬」を教科書で読んだけど、その時は「ふーん」としか感じなかった。なんでこんなにこの小説がもてはやされるのだろう。どうして檸檬を書店に置いて帰ることが、名場面だといわれるのだろう。とくに好きでも嫌いでもない小説だった。
だけど大学生活という名のモラトリアムを謳歌した後に読んだ「檸檬」は、まったく姿を変えていた。
私の自堕落で怠惰な大学生活――朝遅く起きて、昼は授業に出て、図書館で本を借りて読み、たまに映画館へ行き、たまに勉強し、たまにバイトし、友達とお酒を飲んだりひとりで喫茶店に行ったりする……という生活を送ったあとに読む「檸檬」は、一語一語が心の襞へ繊細に入り込み、これ以上なく好きな小説になった。同じ大学に通っていた友達も、「檸檬は……京都で大学に通ってから読むと、沁みる、よね」としみじみ語っていたので、みんな同じような感想を抱くのだろう。 小説の冒頭、「えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた」という文章から物語は始まる。もう、この冒頭一文だけで、わかる、と泣きそうになった大学時代の私をよく覚えている。「檸檬」とは、モラトリアムそのものを示した小説でありタイトルなのだ。モラトリアムとはつまり、自分がまだ世間で何かを成し遂げられるかどうかも分からず、そもそも何を頑張っていいのか、頑張るべきことがこれで合っているのかどうかも分からず、挙句の果てには「私には才能も好きなものも何もない」とか「自分は能力はある気がするけど何をやっても中途半端だ」とか落ち込み始める時期のことである。モラトリアムにいる人間は、すべからく「えたいの知れない不吉な魂」に圧迫されている。それは将来の不安であり、安定しない自意識であり、世間に対して苛々してしまう自分自身のことだ。
しかしこの小説のいいところは、不吉な魂におさえつけられた主人公が、部屋のなかで悶々と悩むだけでなく、京都の町を「浮浪」する描写。主人公は、「私は、できることなら京都から逃げ出して誰一人知らないような市へ行ってしまいたかった」と言いつつも(この気持ちも共感した、京都って山に囲まれているからか、閉塞感を感じる狭い土地なのだ)、京都の賑やかな通りである河原町や寺町のあたりをふらふらとさまよう。
主人公が元気のある時は、見る品物をすべて買うことはできないけれど、石鹸や煙草、香水瓶といったうつくしいものを丸善でみてまわる。元気のないときは、積まれている本がやたら重苦しく見えて、書店にいる学生が賢そうに見えてつらくなる。そしてふらふら歩いている間に、夜になってゆく……。
そのなかで、檸檬という果物だけが、鬱屈としたモラトリアムのなかで、すうっと未来を見せてくれるような、善いものに見える。だから私は埃っぽく、腹の立つ丸善で、檸檬を置いて帰る。何かに復讐するように。――この流れほど、何かに対抗したい気持ちはあるくせに妄想と不安と屈折のなかにひたり、自意識ばかりこねくり回している学生を的確に描いた小説を私は寡聞にして知らない。
青春、なんて言ってしまうとものすごくこっぱずかしいけれど、モラトリアムとか、青年期とか、そういったものが指すのは、「書店に檸檬を置くことでしか発散されない鬱屈を抱える時代」のことなんだろう。
私はこの小説を読むと、未熟で、不安で、つらくないのに何かがつらかった京都の街のことを思い出す。自分が何かをできるのか、何かをちゃんと読むことができるのかわからないまま、丸善やジュンク堂や大垣書店の本棚を眺めていた時期のことを。
きっと同じ思い出をもった人は世の中に存外多くいるのだろう。だから「檸檬」というと、いまだに本棚に置かれる檸檬の場面が有名なのだろう。
そうはいっても、高校の教科書に載せるのははやいよ、と思うけれど。

 

この本を読んだ人が次に読むべき本

書籍:コルシア書店の仲間たち
(須賀敦子 / 文藝春秋)
書籍詳細URL:https://www.honzuki.jp/book/10721/

〈おすすめポイント〉
海外の書店が舞台になったエッセイの名作と言えば、こちら。女性が学ぶ、ということが今よりもずっと遠く、困難な時代に、イタリアで学びと交流の場だったころのことをみずみずしく綴るエッセイ。心を落ち着かせたいときに。

書籍:文庫版 姑獲鳥の夏
(京極夏彦 / 講談社)
書籍詳細URL:https://www.honzuki.jp/book/1260/

〈おすすめポイント〉
本好きならいちどは行きたいと願う古書店、京極堂。知識は力であり、ときに数字で語れない現象を語ることができることを教えてくれる。「姑獲鳥の夏」を読んだことがないなんてうらやましい!

 

Kaho's note ―日々のことなど

あけましておめでとうございます! 今年も365bookdaysさんで書評を書かせていただくことができて、とても嬉しいです。どうぞよろしくお願いいたします。お正月は高知にある実家へ帰っていたのですが、相変わらず高知は気温が高い。とてもあたたかい場所なんですよ。東京へ帰ってきたら寒くて驚きました。でも少しくらい寒いくらいが、身がぴりっと引きしまって、働く気になるってもんですかね。今年も働くぞー。

 

三宅香帆さんが選んだ1冊は、本が好き!月間ランキングから選出いただいています。
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本が好き!2019年12月月間人気書評ランキング

 

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著者略歴

  1. 三宅香帆

    1994年生まれ。高知県出身。
    京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程を修了。現在は書評家・文筆家として活動。
    大学院にて国文学を研究する傍ら、天狼院書店(京都天狼院)に開店時よりつとめた。
    2016年、天狼院書店のウェブサイトに掲載した記事「京大院生の書店スタッフが「正直、これ読んだら人生狂っちゃうよね」と思う本ベスト20を選んでみた。 ≪リーディング・ハイ≫」が2016年年間総合はてなブックマーク数 ランキングで第2位に。選書センスと書評が大反響を呼ぶ。
    著書に外国文学から日本文学、漫画、人文書まで、人生を狂わされる本を50冊を選書した『人生を狂わす名著50』(ライツ社)ほか、『文芸オタクの私が教える バズる文章教室 』(サンクチュアリ出版)『副作用あります!? 人生おたすけ処方本』(幻冬舎)『妄想とツッコミで読む万葉集』(大和書房)『(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法』『女の子の謎を解く』(笠間書院)『それを読むたび思い出す』(青土社)。

    Twitter>@m3_myk
    cakes>
    三宅香帆の文学レポート
    https://cakes.mu/series/3924/
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    https://m3myk.hatenablog.com/

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