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三宅香帆の今月の一冊 the best book of this month

今月の一冊は、小説家が過去を綴る理由『一人称単数』(村上春樹 / 文藝春秋)

今月の1冊『一人称単数』(文藝春秋)

書籍:『一人称単数』
(村上春樹 / 文藝春秋)
書籍詳細URL:https://www.honzuki.jp/book/290610/

 

選書理由

村上春樹の新刊ということで、たのしみにしておりました! 久しぶりの短編集。一年の最後、好きな作家の小説で締めくくることができてうれしい。

ブックレビュー

過去は嘘をつく。
なぜなら私たちは、現在の自分が解釈した過去しか手にしてないからだ。
もし今、幸せでしょうがないとしたら。自分の過去すらポジティブなものにみえてくるかもしれない。あるいは今と全然異なった環境にいた過去を必要以上に嘆くのかもしれない。
逆に、今ものすごくしんどい状況にいたとしたら。過去のことをものすごく美しかった時代として思い返すのかもしれないし、過去をトラウマの原因と考えるのかもしれない。
私たちは今の自分がいて、そのうえで過去に飾りをまぶしているにすぎない。
記憶は変わるし、それによって、過去もかたちを変える。
だからこそ小説家は過去を綴る。それは自分のもっとも大切な物語が、過去という嘘にあるのを知っているからだ。
ポップ・ソングがいちばん深く、じわじわと自然に心に染み込む時代が、その人の人生で最も幸福な時期だと主張する人もいる。たしかにそうかもしれない。あるいはそうではないかもしれない。ポップ・ソングは結局のところ、ただのポップ・ソングでしかないのかもしれない。そして僕らの人生なんて結局のところ、ただの粉飾された消耗品に過ぎないのかもしれない。(「ウィズ・ザ・ビートルズ」『一人称単数』p85)
意外と言われていないことだと思うのだけど、村上春樹は、しばしば過去を綴る作家だ。
もちろん村上春樹自身の過去がどうだったかは分からない(最近は家族についてのエッセイを出したり、自分のことも語っているけれど、それはまた別の話だから)。でも小説のなかで、「過去」に時間軸の起点を置くことはたしかに多い。
『ノルウェイの森』はむかし付き合った女のことを思い出す場面から始まる。『ねじまき鳥クロニクル』は過去の戦争の歴史を体感する場面がある。『騎士団長殺し』では飛鳥時代という時代がモチーフのひとつに現れる。
未来について頻繁に書きたがる作家もいるけれど、村上春樹は、過去に興味を持つ作家らしい。そして今年出版された短編集『一人称単数』には、その過去への執着、そして忘れられない記憶をテーマにした物語がたくさん収められている。
今回の短編集には8つの作品が収録されているのだけど、青春の記憶を回想する物語が多い。たとえば昔出会った、短歌をつくる女の子。ヤクルト・スワローズについての思い出。『夏の日の恋』を流していたガールフレンド。どの作品にも、往年の村上春樹ヒロインを彷彿とさせるような美しい女の子が登場する。そして作者は彼女たちのことを「うまく思い出せない」と言う。この、繰り返し登場する、名前を思い出せないヒロインについては、長い間村上作品を読んできた読者なら「あ、村上作品にたまに登場する、自殺した神戸の女の子かな」と連想したりもするだろう。
神戸の風景を描く場面や、昔聴いていた曲の話をする場面は、生々しいと同時に美しい。フィクションなんだけど、どこか著者の記憶なのかも、と思わせるような感触すらある。
しかしそんな美しい青春の空気を描く短編集である一方で、『一人称単数』の最後の短編「一人称単数」は、不穏な物語で終わる。
「恥を知りなさい」ととある女性に言われる。そして主人公の語り手は責められる。主人公の男性が罪の意識を抱いたまま、物語は終わってゆく。
ガールフレンドとの美しい過去の記憶と、それと相反するかのような、自分の過去に対する罪悪感。そのどちらの感情も描いたところで、短編集は終わる。罪悪感の理由はとくに明かされないまま。
村上春樹の短編集は、長編小説の元ネタになることも多い。『一人称単数』で描かれた、過去への執着と罪悪感は、長編になることがあるのだろうか?
美しい思い出には、罪悪感が伴う。――その罪悪感の理由を、小説で読む日も、遠くないのかもしれない、と思わず期待してしまう。

 

この本を読んだ人が次に読むべき本

書籍:中国行きのスロウ・ボート
(村上春樹 / 中央公論社)
書籍詳細URL:https://www.honzuki.jp/book/47437/

〈おすすめポイント〉おすすめ村上春樹短編集1冊目。初期の短編集なのだけど、ちょっと青春っぽいというか、みずみずしい若さみたいなものが封じ込められてて私は好き。ちなみに『一人称単数』の「謝肉祭」という短編と似たシーンが、「中国行きのスロウ・ボート」に登場するので、比べて読んでみると面白いかも。

書籍:東京奇譚集
(村上春樹 / 新潮社)
書籍詳細URL:https://www.honzuki.jp/book/45990/

 

〈おすすめポイント〉
おすすめ村上春樹短編集2冊目。わりと最近書かれた短編たちなのだけど、村上春樹の小説読んでみたいって言われたらこの本をおすすめするかも。「偶然の旅人」という短編がいいんですよね。『一人称単数』に登場した「品川猿」の初出はこの本です。

 

Kaho's note ―日々のことなど

いきなりぐっと寒くなりましたが、お元気ですか!? 今年は在宅勤務なのでずっと部屋にいるのですが、暖房代がこわいです……。でも暖房を止めたら起きられません。電気代を払ってがんばって仕事したいと思います。みなさま、大変なこともたくさんあった1年だったかと思いますが、連載を読んでくださって本当にありがとうございました! 来年もどうぞよろしくお願いいたします!

 

三宅香帆さんが選んだ1冊は、本が好き!月間ランキングから選出いただいています。
月間ランキングはこちらから
本が好き!2020年11月月間人気書評ランキング

 

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著者略歴

  1. 三宅香帆

    1994年生まれ。高知県出身。
    京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程を修了。現在は書評家・文筆家として活動。
    大学院にて国文学を研究する傍ら、天狼院書店(京都天狼院)に開店時よりつとめた。
    2016年、天狼院書店のウェブサイトに掲載した記事「京大院生の書店スタッフが「正直、これ読んだら人生狂っちゃうよね」と思う本ベスト20を選んでみた。 ≪リーディング・ハイ≫」が2016年年間総合はてなブックマーク数 ランキングで第2位に。選書センスと書評が大反響を呼ぶ。
    著書に外国文学から日本文学、漫画、人文書まで、人生を狂わされる本を50冊を選書した『人生を狂わす名著50』(ライツ社)ほか、『文芸オタクの私が教える バズる文章教室 』(サンクチュアリ出版)『副作用あります!? 人生おたすけ処方本』(幻冬舎)『妄想とツッコミで読む万葉集』(大和書房)『(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法』『女の子の謎を解く』(笠間書院)『それを読むたび思い出す』(青土社)『(萌えすぎて)絶対忘れない! 妄想古文 (14歳の世渡り術) 』(河出書房新社)。2023年5月に『名場面でわかる 刺さる小説の技術』(中央公論社)、6月に『推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない―自分の言葉でつくるオタク文章術』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を刊行。

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    cakes>
    三宅香帆の文学レポート
    https://cakes.mu/series/3924/
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    https://m3myk.hatenablog.com/

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